みんなの場所は誰の場所?【連載 共用製図室から考えるコモンズ #1】

2023年10月9日

こんにちは、半田洋久です。

 

兼ねてから企んでいた連載を始めようと思います。

大きな一つの主題を決めて、その中で様々な出来事や登場人物を取り上げながら思いを巡らせる。最終的に何か結論を導き出すことは目的とせずに、都度思考の断面を見せながらその集積を連載という形で一つの文脈を作りあげることができたら良いなと思い、始めました。僕が個人的に気になっている、考えていきたい主題を取り上げ、それにまつわる記事を書いていこうと思います。

 

0. 連載という文脈の中で


少し余談ですが、最終的には数個の連載(4つが理想かな)を同時に持ちながら全部同時にやんわりと書き進め、派生的な思考を書き切り記事として上げていく、なんてスタイルを取ろうとしています。そういう体を作れば、一つの文脈で考えていたことが、数個同時に転がしていく文脈にそれぞれ作用して網脈状に広がっていくのでは無いかななんて。既に今僕が何かを考える時に持っているキーワードは何個かあって、「風景」「展望台」「コモンズ」「アーカイブ」などがあります。これらはすべて僕の「建築」的背景に基づいていますが、もっと縛られずに半田洋久として風呂敷を広げると、「文化」「街歩き」「東京」「バンドマンと建築学生」「黒」なんかがあります。ざっくりしていますが、こんなところから自分が創作の手がかりを、あるいは世界を理解する手がかりにする文脈を自分の中で紡いでいこう、という企画です。

その中で初めのひとつとして選んだのが「コモンズ」についてです。これには結構ちゃんと理由があますが深ぼるのは後でにします。

初回はコモンズについての様々な思考を射程を長く狙って風呂敷を広げていこうと思います。なのでやや抽象的な言葉が多くなると思いますが、具体的な事象を持って展開する話は次回以降から。初回だということでお付き合いしていただけると嬉しいです…

 



1. コモンズとは


「コモンズとはなんですか」と聞かれたら正直困ってしまいます。流行り言葉と同じで、意味が曖昧な分使い勝手が良い言葉として僕の中にあります。ですが自分が本文脈でこの言葉を使うときに、自分の中で確実に一つ決まっているイメージとして、コモンズとは何か特定の「場所」を指しています。

ところで、ネットでコモンズと調べるとどういう意味が定義されているでしょう。カタカナの外来語はその言葉を日本語に訳す段階で様々な意味の解釈の余地が生まれますが、コモンズは主に「入会地(いりあいち)」と翻訳され、「共有地」と呼ばれることもあるそうです。つまり、何か場所を共有しているもの、その所有の公共性について言及するもののようです。この文脈の中で使う「コモンズ」は、割とニュートラルに「みんなの場所」という意味を定義したいと思っています。「何か特定の場所を他人と共有すること」、「特定のコミュニティに割り当てられた場所」、「誰でも使って良いと示された場所」コミュニティと場所のスケールは様々ですが、どれも「みんなの場所」としてコモンズと定義することができます。

一見普通でありふれたことを議論しようとしているようにも見れると思います。しかし、皆さんはコモンズというものを身近に感じていますか。自分が使うことができると感じている、あるいは所属しているという感覚を持てているコモンズを持っていますか。

コモンズとは、社会における人々のコミュニティの広がりや大きさや接点を、「場所」という具体性を持って見える化したものだと考えています。自分がどんなコモンズを持っているのか、それは社会と自分の距離感を示すものになるのではないかと考えています。

 

2. 自分から最も距離の近い場所から


建築学部の制作で、なかなか地に足ついたものを作り出すのは非常に難しいなと考えています。言わば建築学部の中でのものつくりはそのほとんどがフィクションでの構想になります。実際に建ててしまうのは非常に難しいため、どうにかして建てられないものに対する思考の解像度を上げようと、その場所を綿密に調査したり、精巧な図面を描いたり、たくさんのスケッチを描いてプレゼンしたりします。そんな中で、自分の考えがどのレベルでリアリティを持っているかというのは毎度とても不安になる要素です。

建築学部の生活を送る中で、何か確かなリアリティを持って、自分の足元から始まるような思考を紡ぎたいという思いが芽生えました。今自分は生活の半分以上を大学の共用製図室で送っています。共用製図室は大学にあるオープンスペースの一環なのですが、模型を作ったり、リサーチをまとめたり、言わば建築学生の制作のために与えられたコモンズです。大学にいる間はもちろん、休日はよほど休みたい気分じゃなければ製図室に来て自分の作業を進めるというのが日課になっており、時には家に帰るのすらも億劫な時も。今も製図室でこの文章を書いています。だいたいここに来れば、同じように建築を学ぶ友人や先輩、時には熱のある後輩がやってきたりもして、そこにあるコミュニティに属しているんだという感覚が強く実感できています。もはや自分にとっては今、「第二の家」のような場所でもあり、心は製図室に半分以上あると言っても過言ではありません。そんな公共空間を占有してひたすら作業していては、流石に良く思われないことも多いと思います。ですが、そこはちゃんと向き合っていかなければなりません。

そういう環境に自分がいて、その環境に自分が応答していく中で、注意深く見ていると些細な学びがたくさんあります。そういう些細な学びを取りこぼさないように、この共用製図室に応答する過程を文脈として紡いでいこうと思ったわけです。

 

2023.05.20 筆者撮影 製図室の風景
締め切り前で賑っている、左側に写っている締め切りカウントには「締め切りまで残り3日」の文字も。

 

3. 街の中に自分の居場所はあるか


皆さんは一歩家から出た街の中に自分の居場所を持っていますか。

郊外に住んでいるなら自分の住んでいる街に、東京などの都市に住んでいるならその都市の中に、自分がそこにいることを肯定してくれる場所を持っていますか。

僕は普段、社交的に振る舞う反面、どうしても1人になりたいことがよくあります。もともと1人でいるのが好きな人間というのもあり、どうしても1人で逃げ出したくなることがあります。そういう時、ふらふらと街に逃げ出すことに成功したはいいものの、1人でいることを肯定してくれる空間や場所を見つけることができないと、ただ歩き続けることしかできません。そんな街はどこか冷たく、困っている自分を見て見ぬふりをしてそっぽを向かれるように感じます。

家はそんな自分を回復させてくれる場所として最適です。自分を取り戻すことができるような気がします。ですが、自分が社会の中で活動する場所(学生なら学校、社会人なら職場か)と誰からも切り離される自分の家を往復するだけでは、その関係はとても社会に持っている居場所は十分とは言えないのでは無いかと思います。スターバックスがブランディング戦略として「サードプレイス」と掲げています。その理念自体には全く共感するのですが、お金を払い、一時的に小さなパーソナルスペースを間借りするという関係は、あまり次に続いていかない(生産的ではないというと言葉が強すぎますが、いい言葉が思いつかない)ような関係に思います。何か街や社会と能動的に応答し合うことができ、そこに一つの場所がある。そんな関係性で社会と繋がることができたらいいなと常々思っています。

 

2023.10.15 筆者作成 コミュニティとコモンズ
人々のコミュニティと、そこに広がりを持たせる場所という存在

 

僕が理想とする最小のコモンズは「公園のベンチ」だと思います。誰でも使うことができる場所があり、そこにベンチがあり、座って良いということは、そこにいても良いという街が僕たちに示す肯定的なサインです。肯定的なサインに溢れている街は、自然と街と人の関係を緩やかなものにして、自然と人も集まってきてコミュニティが形成されることでしょう。それは利権に溢れて緊張している街には絶対に起こり得ないことです。ですが、街に突然公園が出現し、ベンチがスポーンしたわけではありません。誰かがそこにあるコミュニティに属している人が公園を置こうと考え、ベンチを置こうと考えた末に、街に肯定のサインが現れたわけです。これこそがコモンズの始まりで、人の能動的な応答だと思っています。

 

2023.09.08 筆者撮影 青森県 葦毛崎展望台近くのベンチ
風景の中に、人の居場所を肯定する

 

4. コモンズへの思索


前に話したようなことは、決して慈善事業としてのボランティアではありません。決して他人事ではないと思っています。所有や消費の意識が強い今、「みんなのもの、みんなの場所」という意識は根強く私たちが実感できるものではありません。ですが、それは私たちが生活を豊かにすることを目的に成長してきた過程で失ってしまった生きていく術なのではないでしょうか。そして同様に、建築という専門分野に限った話ではないとも思っています。

少し風呂敷を広げすぎてしまった気もしていますが、今コモンズとはどうあるのか、今後コモンズとはどうなるか、柔らかいコモンズとは何か、そんなことを共用製図室から考え続けようとしています。何かとっかかりや、こういうことを調べてほしい、こういう人に取材してほしいなどありましたらぜひ教えていただけると嬉しく思います。

 



 

この連載は、一つ決めた大きな主題の中で様々な出来事、事象を取り上げ、最終的に1つの結論を導き出すことを目的とせずに、都度思考の断面を見せながらその集積として一つの文脈を紡いでいく半田洋久の個人プロジェクト。

みんなの場所、いわゆる「コモンズ」とは一体誰の、誰のための場所で、また誰が作り上げていくのか。そして美しいコモンズとは何か。
これは僕が日頃から利用しているコモンズ「共用製図室」を表象とし、そこからの経験や学びを発展させたコモンズへの思索である。

 

著 : 半田 洋久|Hirohisa Handa

 

続きの記事はこちらから。

「コモンズ」との出会い【連載 共用製図室から考えるコモンズ #2】