家具の建築。サティの「家具の音楽」から。

2024年8月26日

エリック・サティ「家具の音楽」


 

「家具の音楽」という言葉を聞いたことがあるだろうか。建築と音楽をこよなく愛する者であれば、このワードは見過ごせないだろう。

 

1800年代後半から1900年代前半にかけてパリを中心に活躍したエリック・サティという音楽家がいる。「音楽界の異端児」と呼ばれたクラシックの天才だ。サティの音楽は聴衆にとっても演奏者にとってもアバンギャルドなものだった。たとえば、「ヴェクサシオン」という楽曲は、1分程度の曲を840回繰り返すといったものである。

 

 

ある日、友人たちとレストランで昼食をとっていたサティは、食事の最中に騒々しい音楽が始まったのに嫌気が差して思わず外に飛び出してしまった。まだオーディオ機器が発達していない当時、“音楽”というものはだれかと聴きに行って演奏者に注目するものだったが、サティは当時の常識とはまったく反対の「聴き流す音楽」を考案した。それが「家具の音楽」である。

彼は、そのアイデアを実験するために画廊でのコンサートで“家具の音楽”を実践した。当日のプログラムには「音楽に注意をはらうな」と記載されていたが、聴衆は演奏が始まるとおしゃべりをやめ、自分の席にもどって静まり返ってしまったのだった。サティは実験の失敗を恐れ、おしゃべりを続けるように叫んで走り回ったが効果はなかった。結果的に彼の実験は失敗に終わってしまう。

 

しかし、「家具の音楽」の思想は、現代におけるBGMやのちのアンビエント音楽がうまれる契機になっている。

 

サティはこのような音楽に、なぜ「家具」という言葉を使ったのだろうか?

 

筆者は、家具は人の営みを創出するものだと考える。たとえば、なにもない部屋に引っ越してきたら、ひとまず段ボールをテーブルにしてそこで食事をしたりする。それまで梱包として役割を全うしていた段ボールは、「食事」という行為を通して家具へと変化するのだ。

反対に、人の営みが家具の様相を変えたりもするだろう。ステージのある大きな部屋にたくさんの椅子をステージに向かって並べたなら、そこに座る人々はステージに注目する。披露宴のようにいくつかの円卓を並べ、円形に椅子を配置したならば、人々はステージを見ないで会話を始めるだろう。

 

サティの実験で椅子がどのように置かれていたのかは定かではないが、椅子を円形に並べ、演奏者が聴衆から見えないように工夫すれば実験は成功したかもしれない。

 

「家具の映像」


 

前橋工科大学では、「デザイン演習Ⅱ」という授業内で『家具の映像』という課題がカリキュラムに組まれている。映画やテレビ・スマートフォンで見るYouTubeの動画のようにモニターの正面に座って集中して鑑賞するのではなく、日常生活の中に溶け込んで環境の一部として空間を豊かに演出する映像を制作するというものだ。

 

【課題】

住宅の中に設置することを想定した「家具の映像」を制作してください。映像のフォーマットは以下の通り。

 

この課題は、特に4つ目の「住居の中でどのように設置するのかプランもあわせて提出すること」の部分が重要に思える。筆者が“家具の映像”と聞いて思い浮かんだ事例は2つ。

 

ひとつは、大規模なライブやDJイベントにおける「VJ(ヴィデオ・ジョッキー)」である。永山裕子建築設計が設計したことで話題になった東急歌舞伎タワーの地下部分に入居する ZEROTOKYO (Zepp Shinjuku)は、コロナの影響で相次いで閉店した渋谷VISIONなどの大箱と同等の大規模な音箱だ。そこのメインフロア「Z HALL」では大きなデジタルサイネージにVJが選択した映像が流れる。あくまでも主役はDJや出演アーティストであり、映像のみに集中している人はいないだろう。筆者が初めてそこを訪れたときは「SOUNDGATE」というDJイベントが開催されており、そのときのVJを担当していたのが「H2KGRAPHICS」である。

 

 

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H2KGRAPHICS エイチツーケイグラフィックス VJ(@h2kgraphics)がシェアした投稿

 

そのときの映像をみる

(筆者撮影)

 

これほどに大きく大胆で没入感のある演出にもかかわらず、人々はそこまで映像に集中していなかった。「家具の映像」を体現するにはぴったりの例のひとつだろう。

 

もうひとつは、恵比寿にある「Maison Margiela Tokyo (メゾンマルジェラトウキョウ)」の中に置かれているモニターである。服好きなら一度は訪れたことのあるマルジェラの旗艦店だが、国内にある他の店舗とは一線を画した空間演出となっている。今はすでに撤去されているかもしれないが、陳列されるアイテムに紛れてファッションショーの様子が映し出されたモニターがある。こちらも、集中して鑑賞するような仕様にはなっておらず、あくまで店舗インテリアの演出のひとつとして見えた。

実際にここに訪れた他のお客さんたちはここの映像を集中して見てはいなかった。そのひとつの理由に、音声が出ていないことがあるだろう。通常のファッションショーは、専門のスタッフが厳選したトラックを大音量で流す。

 

 

ちなみに、筆者が思わず度肝を抜かれたジョンガリアーノの最高傑作「20SS」のコレクションは音楽も含めて一級品なのでぜひご覧頂きたい。途中で使われている音楽、カナダ出身のテクノプロデューサー・Marie Davidsonによる『Work it』は印象深く、今でもDJプレイでたびたび流している。

 

マルタン・マルジェラの時代から始まり、デザインチームの時期を経てながらくジョンガリアーノがクリエイティブディレクターとして起用されてきたマルジェラであるが、2024年で退任するとの噂も。これから店舗内装などにどのような影響がでるのか楽しみなところだ。

 

メゾンマルジェラ東京

〒150-0022

東京都渋谷区恵比寿南2丁目-8-13Kyoden, Building 1F

 

「家具の建築」


 

サティの家具の音楽のオマージュで、「家具の建築」というものをつくれないだろうか?サティは、家具の音楽を「家具のようにそこにあっても日常生活を妨げない音楽」と定義している。家具の建築を考えるとき、「家具では日常生活を妨げないが、建築だと妨げてしまう」場合を考えなくてはならない。(ここでは、家具は建築の一部だ!という考え方は一旦排除することにする)

 

簡単に思いつくのは、施工の環境の違いだ。

家具の場合、工房などの電動工具の騒音が対策されている場所のみで作りあげることができるが、建築の場合はどうしても周りに騒音が伝わってしまう。騒音だけでなく、木工で生じる粉塵なども同じことが言える。

他には、建築のスケールが家具に比べて大きい事が挙げられる。わかりやすい例は、タワマンのエレベーター。急いでいる時に限ってエレベーターがやってこない。階段を使っては時間がかかる。このように建築の大きなスケールが日常生活に支障をきたすことがある。それに比べて家具は人の時間を奪うことはないだろう。

 

他にも色々な例があるに違いない。読者の皆さんに「家具の建築」を考えてもらいたい。

筆者が建築学科で経験した限りでは、大学の建築教育では建築について知識が身についてきた高学年になればなるほど家具を専門的に学ぶ講義はなかったし、家具を本格的に作る設計演習は選択制だった。建築学科の学生の多くは「あの建築家は知らないとやばい!」みたいな謎のプレッシャーの上で学んでいるのにも関わらず、家具の作家についてはよく知らない。(実際に私もそうだ)

 

「家具の建築」を考えることで、忘れられた家具の面白さを思い返す良い機会なのではないだろうか?

 

文:CURIOATE代表 曾原翔太郎

 

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