なぜ建築学生はすぐに「スチレンボード」を使うのか?

2024年11月6日

 

スチレンボードを安易に使う愚かさ


 

建築学生にとって、模型制作は設計の魂を形にする儀式のようなものだ。アイデアの断片が初めて形をもち、現実の空間へと昇華する橋渡しの役割を果たすその過程。しかし、多くの学生は、この神聖な儀式を軽んじてしまっているのではないだろうか?

その象徴ともいえるのが「スチレンボード」だ。表面的には便利で手軽なこの素材を使うことが常識とされている建築学科の悪しき風習が、多くの建築家の卵たちを建築設計の真髄から遠ざけている現実に、私は違和感を覚える。

 

学生時代、エスキスの前日になると製図室でこのような声が飛び交っていた。

「*レモン画翆行ってくる!!!」

 

*【レモン画翆】御茶ノ水にある模型材料専門店。首都圏の建築学科の製図室では、ここの灰色のショッパーがいたるところに落ちている。東京の西部に住む者は、新宿の世界堂を利用することもしばしば。

 

私が通っていた大学の近くには、都内で最大規模といわれるホームセンターがあった。なぜ目と鼻の先にありふれる可能性を持ったマテリアルたちが陳列している場所があるのに、彼らは片道40分と電車賃380円を浪費して御茶ノ水まで出向くのか。

 

スチレンボード模型

スチレンボードで作られた模型:学生時代の筆者によるもの

 

スチレンボードという「白色のキャンバス」に隠された罠


 

彼らがスチレンボードを使う理由は、先生や先輩たちからスチレンボードを使うことを教えられるからだ。新入生の多くは、「これが建築学科っぽくてカッコイイ」と思い、この材料が使われる理由など露知らず、自分の表現方法の引き出しに入れてしまう。実際、スチレンボードを使うと教える先輩たちに「なぜスチレンボードを使うのですか?」と問うても、あいまいな答えで納得させ先輩としての威厳を保つだけだ。

 

実際、私はいまでもスチレンボードを使う【あたりまえ】に納得がいっていない。

 

とは言うものの、いくつかスチレンボードを使う利点は想像できる。

 

①均一な質感

②軽い

③安い

④加工が容易

⑤廃棄しやすい

...

 

このくらい良い点はたくさんある。しかし、これに対してあまりにもデメリットが大きいような気がする。多種多様な素材で作られる建築が世の中にあふれるのに対して、スチレンボードで作られた模型は本当にわたしたちの創造性を反映できているとは到底思えない。

 

スチレンボードは学びの機会を蝕んでいる


 

材料を知る機会を失っている

 

実際の建築では、多種多様な素材が使われていると先述した。たとえば、RC造建築の場合を考えてみる。躯体にセメント・砂・砂利を混ぜたコンクリートと鉄筋。外壁に窯業系サイディング。内壁は軽量鉄骨を立てて、そこにプラスターボードを貼り、壁紙を貼る。床には根太を敷き、下地合板を貼ってフローリングを載せる。仕上げの下地を組むのに金物がいる。このように、構造材料・内部仕上・外部仕上で数え切れないほどの材料の種類があるのだ。

 

建築学生が模型を作るたびに模型材料専門店ばかり通っていたら、このような事象が起きるだろう。

 

「プラスターボードって図面で見たことあるけど、実際に見たことがない。」

「家具をDIYしようと思ったが、合板はどれを使えばいいの?」

「接着材は、*すちのりと*Gクリしか知りません。」

 

*スチレンボードを接着させるために主に用いられる接着剤をすちのりという。Gクリヤー(Gクリ)は、すちのりでは心もとない箇所に使われがちである。実際は布やゴムなどを接着するのに向いている。

普段からホームセンターを模型材料の調達場所としているなら、よりホンモノの建築に近い材料を知ることができる。模型材料店ばかりに頼っているから、そこに売っているものだけでなんとかするしかないのだ。愚かである。

 

たとえば、スチレンボードで作った床の上に垂直に塩ビ板を立てて窓を表現したいとき、接着が不安定であることは多くの建築学生にとっての悩みである。実は、すちのりもGクリヤーも塩ビ板を接着させるのには向いていない。セメダインだけでも塩ビを接着させるのに向いている接着剤を5モデル程度販売しているので、ホームセンターの接着剤コーナーに陳列された商品を端から端まで見てみるといいだろう。困ったときは店員さんに聞けばいろいろ教えてくれる。

 

木材のしなやかさ、金属の硬さ、ガラスの透明感。カッターナイフで容易に加工することのできないそれらと向き合うことで、建築を形作る難しさを感じると同時に設計者としての感性が磨かれるだろう。なぜ、学生のうちにそれらの深みを知ることができなかったのだろうか?多くの建築設計者はそういった後悔のなかで日々「ホンモノ」の建築と戦っているのだ。スチレンボードを材料に模型をつくるという固定観念をもつ様は、兵器を備えながらもドックから出ることのなかった戦艦と同じである。

 

 

建築の「つくり方」を知る機会を失っている

 

スチレンボードは1枚の白い板である。たった1枚で床・壁・屋根の役割を果たす。しかしながらホンモノの建築は、床ならば束・根太・断熱材・下地・仕上げ、壁ならば外装仕上・外装下地・通気胴縁・断熱材・間柱や柱・内装下地・内装仕上、屋根ならば屋根材・野地板・垂木・断熱材・屋根下地・野縁・天井、のようにいくつもの材が積層してできている。

 

スチレンボードでの模型による出隅や入隅の処理は、「一枚残し」という処理を施してきれいに仕上げるが、現実では一枚残しのようなことができない。この材と材とがどのように接するかを「納まり」という。スチレンボードばかり使っていると、納まりを考える時間はゼロだといっても過言ではない。納まりまで考えられた図面を描ける建築学生はごく少数であり、かける学生たちはみなディテールなどの詳細図を専門的に取り扱った特集雑誌を熟読している。建築雑誌といえば、新建築A+UGAといったものばかり注目されるが、これらは大まかな図面の掲載があれども詳細図までは掲載されていない。(80年代の新建築までは詳細図を別途紹介するページがある)

 

一枚残し

 

一枚残し2

 

 

多くの建築学生が新建築やGAの建築写真と大まかな図面だけを見て満足してしまうのは、すべて「一枚残し」で処理できてしまうがために「納まり」を考える瞬間がないからである。

 

皮肉なことに、多くの建築学生はカッターナイフの扱いには優れているのに、インパクトドライバーや丸鋸といった工具を使ったことのない者が多くいる。これも、スチレンボードを使った模型制作という先入観が工具を扱うスキルの向上を阻害しているのだ。

 

 

模型への愛情が希薄になっている

 

設計課題の講評会が終わり、製図室では模型を無残にもバラバラにする連中が現れる。スチレンボードは比較的安価に入手でき、細かく刻めばすぐに捨ててしまえる素材であるが、その廃棄の容易さが課題終了後のブラッシュアップの道を隔てるひとつの要因である。安物買いの銭失いとはまさにこのことだ。汗水たらして稼いだバイト代を模型に本気でつぎ込むなら、いくら部屋が狭かろうとどうにかして模型の保管を試みるに違いない。そして保管された模型は、来るコンペの時に大活躍する。

結婚して子供が生まれたときのことを想像してもらいたい。かわいいわが子が育つために、親は働く。模型材料をケチることは、愛でる我が子に大した食事を与えないのと同じではないか?

スタディになら使っても良い

 

建築模型には2つの種類がある。ひとつは最終講評会で審査してもらう用のプレゼン模型だ。これは実務では、竣工後の記念品などにあたる。もうひとつは検討段階に沢山のパターンを作る「スタディ模型」。

 

スタディ模型は、あくまでも一時的にアイデアを物理化するものである。スタディという行為は、遠く離れた標的に対して機関銃を連発するようなもの。ピストルのように弾を込めている時間はない。だからここは、安く早く。スチレンボードの出番はここである。

 

いま、模型制作の本質を見つめなおす時


 

設計はうまくないけど、模型制作はうまい。でもそれだと社会に出ても役に立たない。模型制作は単なる技術ではなく、設計の真髄を学ぶための重要なプロセスだ。スチレンボードの便利さに逃げるのではなく、多様な素材と向き合い、その本質を理解する姿勢が求められる。それこそが未来の設計者としての真の成長を促す道なのではないだろうか。学生たちは、自らの選択が未来にどう影響を与えるのかを深く考え、模型制作という神聖な行為を通じて建築と向き合ってもらいたい。

 

文:曾原翔太郎

 

詳細図に詳しくなれる本

 

 

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