熱のある先輩に巻き込まれて【半田洋久がCURIOATE編集部に参画】

2023年10月9日

こんにちは、半田洋久(はんだひろひさ)です。

 

この度CURIOATE(キュリオエイト)というWebマガジンにて、ライターを務めさせていただくことになりました。

何から言えば良いかわかりませんが、端的にいうと熱のある先輩にライターとしてチームに誘われたというところです。その先輩は大学内でも異端児で、在学時から一際目立っていたので、興味本位でよく製作を手伝っていたら、こんなところまで連れて来られてしまいました。最初の記事(これ)では、僕の自己紹介と、こんなところまで連れてこられてしまった経緯、僕がここで何を考えるか、なんかを話そうと思います

 

半田洋久って誰?


軽くまとめ直すと、芝浦工業大学で建築を学んでいるどこにでもいる建築学生の1人です。なせか少しだけ名前が有名で、X(Twitter)のフォロワーが2100人くらいいます。建築を通して見る世界が好きなので、大学の課題には結構のめり込んで取り組んでおり、日々大学のアカデミズムにどっぷりと浸かって制作をしています。大学の課題を提出する「建築学縁祭2023」という外部の登竜門的学生コンペでは最優秀賞、「建築新人戦2023」は8選と、それなりに賞歴もいただいています。建築を考えるキーワードとして「風景」、「展望台」、「コモンズ」、「アーカイブ」などがあります。展望台が大好きで、よく休暇を使って展望台を見に一人旅に行ったりしています。

Twitterが少し有名になってしまったためか、結構僕のことを知ってくれている人は多くて、建築系のイベントに顔を出しては「あ❗️Twitter見てます❗️」と言われて困っています。なんだかんだありがたくはあるのですが少し恥ずかしくもあり…

 

建築学生半田洋久のTwitterアカウント

 

 

少し余談ですが、Twitterが有名だと、良いことと悪いことがあります。まず良いこととしては、初対面でも認知してもらえていたりして、話のフックがたくさんあるので、仲良くなれやすいです。これはSNSに日々を投稿するタイプの人ならよく経験したことがあると思います。一方悪いこととしては、「半田 洋久|Hirohisa Handa」という記号だけが一人歩きしてしまい、なかなかちゃんと僕を見てもらえることが少なくなってきます。これを公で言及するのはとても難しいですが(Twitterの140文字のみで語るのは尚更)、やはり「Twitterが有名な人」、「よく大きな声で発信している人」、これくらいならまだ良いですが、もっとひどい時は「あの人なんかTwitterでベラベラ垂れ流していて有名だから鼻に付くんだよね」みたいなことを裏で言われていたりもします。つまり、やっていることや設計の中身が誰かに見てもらえる機会が、色眼鏡に邪魔されるということです。そんなこともあって、しっかしとした土場で自分なりの文脈を紡げる環境が欲しいという気持ちもあったりしました。

また、傍らロックバンドでドラムを叩いていたりもしています。ENEMY FLECKというバンド名で極めてありふれたオルタナティブロックを狙っています。そんなバンドに所属していることもあり、建築学部のアトリエだけではなく音楽スタジオや、ライブハウスを転々とする生活をもう一面でしています。ここではあえて深掘りはしませんが、つまり僕の影の1/2(時によって変動するけど)は建築学部のアトリエではない場所にあるわけです。

 

Photo : いかちゃん 

自分の境遇は少しレアかなと思っています。海外ではむしろそういう方(掛け持ち、デザイン系のアカデミックに属しながら別のフィールドを持つ)が一般的らしいですが、国内ではあまり耳にしません。僕が知らないだけかもしれませんが…

 

建築学部の落とし穴


建築学部は良くも悪くも建築に熱中する人が多く(僕もその1人)、先輩の技術を近くで見て学ぶことを目的とする「お手伝い」という文化もあるため、学年間の交流も盛んです。時間も繋がりも学科内で満足に足りてしまうため、他学部、他学校、あるいは社会との繋がりが豊富ではありません。そういう環境にいると、考えや実感に少し偏りが出てきてしまうことがあります。将来像が限定的なイメージになったり、実際のところでは狭いコミュニティである学部での評価に慢心したり。僕も建築学部で建築にのめり込んで少ししてからお金がなくなった時に飲食バイトを始め、自分の感覚が大きく建築学部によって変わったことを自覚して驚いたことがありました。

 

建築は文化と密接な関わりがあるとよく言われています。しかし、建築学部のアカデミズムの中だけでは多様な文化に触れる機会は限られてきます。僕は幸運なことにバンドマンとしてライブハウスを転々とする機会に恵まれたため、それなりに多方面で社会や文化に触れてきました。なので、多少の実感があります。

 

大学にいた変な人、ソハラさん(CURIOATE共同代表)


初めて知ったのは僕が学部1年の時に、繋がりを増やすために参加した学内コンペでした。建築のコンペなので当然建築を作らなければならないわけですが、審査会に現れたソハラさん(当時学部3年生)は、提出模型として粘土で作った変なデコボコを持ってきており、訳のわからないことを言って講評会で注目を浴びていました。それを見て、この人にくっついていればなんか面白そうだぞ、と思いあまり後先考えずに声をかけ、それから度々彼のプロジェクトを手伝っていました。ソハラさん(CURIOATE共同代表)は在学時からよくバーに通っていたり、他学校との知り合いなんかと遊びに行ったりしながら、自分の建築観を多方向に広げていました。そんな姿への憧れや、彼の活動、他にない世界観を近くで見ていたこともあり、多少なり影響を受けていたりもします。

 

CURIOATE共同代表のソハラさんと共同制作したBarLIBREのオーダーメイド机

CURIOATE共同代表のソハラさんに制作協力したBarLIBREのオーダーメイド机 (左 : 当時学部4年生のソハラさん 右 : 当時学部2年の半田洋久)

 

CURIOATE共同代表のソハラさんと共同制作したBarLIBREのオーダーメイド机

BarLIBREのオーダーメイド机(筆者撮影)

 

そんな彼に僕のバックグラウンドを近くで見て頂いたことで、CURIOATEにてライターとしての立場をいただきました。CURIOATEのコンセプトは僕も十分共感しているため、何か僕がCURIOATEという文脈を通してここで考えられることがあるのではないかと思っています。

 

CURIOATEという場所で


長く僕のバックグラウンドを話しましたが、とはいえ僕は建築学部のアカデミズムにどっぷりと浸かっているため、僕をCURIOATEのプリズムに通しても、僕の光の屈折率はそんなに高くないかも。でも、アカデミズムに寄っている人が、なんとかその光を赤色のついた可視光まで曲げていく、そんな生々しさもこのCURIOATEには必要かなと思っています。

 

CURIOATEのVision

引用 :【建築業界に新たな価値観を】少し変わった経験を持つ建築学科出身の編集部が創るウェブメディア、アカデミック至上主義の人々を一歩引いた世界へと導く「CURIOATE」がローンチ。

 

一つの文脈の中で多様な経験を取り込みながら考え続けるスタイルが自分にはあっていると思っているので、大きなテーマを決めて、その中での連載のような形式を取るかも。この記事を最後まで読んでくれた人ならわかると思いますが、いわゆる一般的な記事のような形式の文章は僕は書けません(書きたくないというのが本音かも)。半分エッセーみたいな文体で、何かを論ずるときはもう少し堅めか。また僕の光は赤色か、あるいは橙色くらいかもしれない。そのくらいのところで、CURIOATEでの自分なりの役割を引き出せたらいいなと思っています。

 

文章を書くことは、クローズな場所ではよくやってきましたが、このようなオープンな場所では初めてです。疎い部分もあるかと思いますが、これからよろしくお願いいたします。

 

 

著 : 半田 洋久|Hirohisa Handa